点訳アラカルト


第37回 トニカ教養講座(2005年)
2005.12.12

トニカは毎年教養講座を開催し、楽譜点訳について識者の話を伺っているが、平成17年は11月2日に、国際的に活躍しておられるヴァイオリニストで、長年のトニカのユーザーである和波孝禧氏をお招きして、講座を開催した。同氏の話は楽譜点訳に携わるものにとって、種々参考になるところが多かったが、そのうち印象に残ったいくつかの点をご紹介したい。

(1) 同氏が強調しておられたことの一つは、「点訳された楽譜なしでは、演奏活動も教授活動もできない」ということであった。「よく、どういう楽譜が読み易いか、或いは読みにくいか、を聞かれるが、極端にいえば、“どんな楽譜でも読める”のであって、使う我々が努力すればよいのであり、ともかく楽譜が“ある”ことが重要で、なかったら何もできない」と言っておられた。

我々は、点訳をできるだけ完璧なものにしたい、読み易いものにしたい、という気持ちで、とかく依頼者の希望する仕上がり期限に遅れそうになってしまうのであるが、依頼者の“一刻も早く楽譜を手にしたい”という気持ちを、改めて考えさせられたことであった。・・・・・だからと言って、いい加減な点訳が許される筈はなく、できるだけ完全な点訳を目指すことは勿論であるが・・・・・。

(2) 次に、同氏の述べておられたことで印象的だったのは、同氏が受け取った楽譜を適宜自分の使い易い形に加工して使っておられる、ということであった。
同氏は、ブレールメモという機械を使っておられる由であるが、たとえば必要に応じて、パート譜で受け取ったものをスコアに直したり、逆にスコアをパート譜に直したりする。又、自分用の指使いや弓使いを書き入れるとか、(オーケストラの場合)自分のプルト以外の他のプルトは消す、という作業をしておられる、とのこと。

これは、我々が五線譜についてしばしば実行していることであるが、同じようなことが点字楽譜でもできるのだな、ということを知ったのであった。

(3)同氏は、シェーンベルクの「グレの歌」のような曲では、「頻繁に調子や拍子が変わる。これを探すのに手間がかかった。他のグループの楽譜で、各ページ毎に、調号、拍子記号が書いてある、というスタイルがあるが、そういうスタイルは参考になるかも知れない」、ということを述べておられた。

この点は、私も常々疑問に思っていたことであり、五線譜では、各行に調号がついているから、今、何調だったかな、と思えば行頭を見ればすむのに、点字楽譜では曲の初めを見ないと、或いは、転調した個所を見つけ出さないと判らない、点字楽譜はその点不便でないのか、と思っていた。和波さんも同じ思いなのだと知り、我々として工夫が求められているところかな、ということを考えさせられた。

(4) パラレルの切り方について、「原譜についている小節番号で切るのがよいか、フレーズを考えて切るのがよいか」という質問に対して、「或るパートにとってフレーズの切れ目でも他のパートにとってそうでないこともある。また、原譜に忠実に切るとページの半分が空いてしまう・・・というような時は、あと1〜2小節入れて空白を少なくしてもらった方がよい。音楽的な流れにはそれほど拘らなくてよいのではないか。」という答えをされており、点訳者が音楽的な流れとか、楽譜のスタイルの整合性とかを重視しすぎて、かえって読む側に不便を生じても具合が悪いのかな(音楽的流れ等を全く無視するのもいけないだろうが)、と感じたことであった。

そのほかにも色々参考になるお話があったが、いずれにしても点訳に携わる者にとって、本講座のような機会に、楽譜を使用するサイドからの要望なり、意見なりを十分に伺い、今後の点訳活動に活かして行くことが重要であることをしみじみ感じた一日であった。
トニカ書記  新倉 隆

次回もお楽しみに・・・。
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