20周年記念特集
2007年7月23日掲載

 

お陰さまで「トニカ」は今年設立20周年を迎えました。去る6月21日、これまでお世話になりました方々にもお越しいただき、ホテルベル・クラッシックにおいて、“点字楽譜普及会「トニカ」設立20周年を記念する会”を、催すことができました。

トニカのメンバー

「トニカ設立20周年を記念する会」 会長のご挨拶
毎日新聞ユニバーサロン掲載記事
トニカ通信第9号 20周年記念号

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点字楽譜普及会「トニカ」20周年を記念して ・・・ 会長のご挨拶

皆様本日はご多忙の中“「トニカ」20周年を記念する会”にご出席下さいまして、有難うございます。昨年の春「トニカ」は音楽教育振興財団より“音楽教育振興賞”の、助成部門を受賞いたしました。お陰さまで念願の新しいパソコンを購入する事ができました。その折り、主催の毎日新聞、NHKラジオ・FM放送などからトニカについての取材を受けました。その後、点譜連でもトニカを紹介する機会を与えていただきました。

また先月、5月28日にはNHKテレビの首都圏ネットワークの取材を受けました。この番組でトニカが紹介された時間は5分ほどでしたが、事前には大変長い時間を使っての取材がありました。私のトニカ20周年は昨年より始まっており、問われるままにトニカについて語り、振り返り、心巡らせ、多くの質問に答えてきました。もうすっかり語り尽くしてしまったのですが、今日はその取材の中で多かった質問を少しまとめてお話しようと思います。

私が点字楽譜を知ったのは、1981年、楽譜点訳の会「星」主催のチャリティーコンサートがきっけでした。26年前のことです。先日NHKの取材でこのことを話しましたら、記者さんから当時の新聞記事かプログラムはないかとたずねられました。もう26年も昔の事です。当然あるはずがないと思いました。でも記者さんはあきらめず、そのコンサートの出演者であった宮里隆太郎さんに電話をしました。宮里さんから、当時、星の会の代表者であった星加恒夫さんに電話をし、そして星加さんのご実家のお父様が保管している事がわかったのです。そのプログラムは愛媛県から宅急便でNHKに届きました。テレビの画面に、手で触れるとほろほろと崩れそうな26年前のプログラムが映っていました。私は紛れもなくここから、このコンサートから出発したのです。

当時はパソコン点訳ではなく、点字版やタイプライターを使っていました。数年後、私が仕事部屋として借りていた部屋に、ブレイルマスターという大型のパソコン点訳装置が運ばれてきました。これはナショナルが開発したもので、値段は1台800万円もしたそうです。私の部屋にブレイルマスターがやってきた経緯はもう忘れましたが、この経験が後のトニカ設立の機縁になります。きっとご縁があったのでしょうか。

このブレイルマスターは大変画期的なもので、私は上手に説明する事はできませんが、先ず点訳者がタイプライターなどで作成した点字を、コピー機のようにスキャナで読み取り、それを点字プリンターで出力する事ができるのです。そして何より素晴らしい事はフロッピイディスクに保存ができるのです。当時は8インチのフロッピィディスクだったと記憶しています。

ただ楽譜に関しては読み取りが悪く、文字として読んでしまうので、かなり修正が必要でした。ですから原稿を見ながら直す作業が大変でした。点訳者がタイプライターで点訳した楽譜を、依頼者に渡す前に、このブレイルマスターに読み取らせ、修正し、校正し、それから点字出力をしてデーターを保存する。今では考えられない苦労がありました。私は毎日夜遅くまでこの作業をしました。今日参加しておられる、星の会の会長さんでいらっしゃる天野亨さんも当時は大学生で、時間があるときにはブレイルマスターの作業を手伝ってくださいました。

一人の依頼者のためにタイプライターで点訳された楽譜はその方に届けてしまえば、それで終わりです。点訳者の手元にはなにも残りません。私の性格から言うと、その潔さがとても気に入っています。でもそれでは来年も、次の年も、同じ曲の依頼があればその度に同じ楽譜を点訳しなくてはなりません。その楽譜を必要とする人が二人いれば、二人の点訳者が同時に同じ楽譜を点訳しなくてはなりません。でもこのブレイルマスターの作業をすれば、保存ができる。複製ができる。私は自分の頭に言いきかせながらこの作業を続けました。

このことは点字を使う人、点訳をする人の共通の思いだったのでしょう。その後、コータクンを始め、いくつかの点訳ソフトが開発されました。私は独立し、1台の中古のパソコンと、コータクンという点訳ソフトを買い、パソコン点訳専門のグループを作りました。
1987年のことです。中古のパソコンが30万円近くした時代です。その年の秋、トニカ第1回楽譜点訳講習会を三田の東京都障害者福祉会館で開催しました。その時の受講生を中心に本格的な活動が始まりました。

その時代はパソコン点訳といっても、パソコンを自宅に設置している家庭は少なく、トニカでもしばらくはブレイルマスターと同じ作業をすることになりました。会員は家で点訳した楽譜を、もう一度事務所のパソコンの前に座り、それを写していくのです。でもその大変な作業には希望がありました。これを残しておけば未来永劫使えるのです。今まで不可能だった複製ができるのです。私は会の名前を“点字楽譜普及会「トニカ」”としましたが、“点訳の会”としなかったのは、点訳から後のこと、保存する事、複製する事を目的にしたかったからです。複製するということは点字楽譜の出版ができるということです。出版ができるということは、楽譜が必要な時にすぐに手に入るという事です。楽譜があれば、楽譜を読める人も増えていく。私はそう信じたのです。

でも、肝心な複製は事務所に点字プリンターがなかったために、点字プリンターを設置している場所に通って点字出力をしました。その後1989年に私の友人から頂いた寄付にあわせて、会員の会費前納ということで1台の点字プリンターを購入することが出来ました。1981年のコンサートで出会った星加恒夫さんが点訳ソフト「ブレイルスター」を開発しました。現在もそれを使っています。企業の助成金でノートパソコンを購入し会員に貸し出しをしました。

1991年には私の住むマンションの一部屋をトニカ事務所として借りる事ができました。この事務所を貸していただいた事でトニカは大きく前進する事ができたと思います。パソコンや点字プリンターを設置し、データーを管理する拠点が必要になったのです。この部屋を快く貸してくださった、今は亡き高松一郎様、ご子息の良隆様、日頃なにくれと無くお世話して下さる奥様の由美子様には言葉では言い尽くせないほど感謝しています。

トニカは必要とするものは常に与えられました。それは何よりもトニカを必要とする方々がトニカを支えて下さったと、いうことではないでしょうか。点訳の会は依頼がなければ会として存続することはできません。依頼者の方々がその会を育てていくのです。そうは言っても、会員の苦労も多かったのです。当時のトニカの会費は1ヶ月千円、年額1万2千円でした。数年目にやっと減額して、現在は1万円です。それだけではありません。事務所までの交通費。お昼のお弁当代。家庭でのパソコンや校正用のプリンター用紙など。個人個人の負担は大きくなるばかりです。

現在のトニカの会員数はおよそ36名ほどです。メンバーは夫々、都合の良い曜日に所属します。点訳からデーターの管理まで、それぞれの曜日で担当しますし、会運営の仕事、会計や庶務、広報などの仕事も曜日で担当します。メンバーは月に一度の例会出席、曜日の当番を義務付けられます。2台の点字プリンターが動いている時の事務所はまるで町工場のようです。その喧騒の中で点訳の打ち合わせをしたり話し合いをしたりしています。

今年度、3月からこの6月までに依頼を受けた曲数は、およそ130曲でした。この20周年の企画から準備まで、各曜日から選抜された実行委員と、それをサポートする曜日の仲間で実行してきました。もちろん点訳の合間をぬっての計画です。NHKの記者さんが最後まで何度も質問していたのは、「トニカの皆さんのこれだけの情熱の原動力はなにか」というようなことでした。私も知りたいと思っています。

トニカの事務所を離れ、家庭に戻れば家庭での生活があります。36人いれば36通りの生活があります。そこには嬉しいこと、楽しい事ばかりではないでしょう。悩む事や、辛いこと、困難なこと、それぞれ抱えているに違いありません。でもそんな事を抱えながらもトニカに通ってきます。それはなぜだろうと私は考えます。そしてきっとトニカは皆で作ってきた会だからだろうと思います。メンバーの一人一人がトニカなのです。

今日はこれから和波さんが演奏してくださいます。和波さんもトニカのユーザーのお一人です。いつか和波さんが私におっしゃったことがあります。「どんな仕事でも楽譜を読む事から始めたい」と。私はこの言葉を心に深く受け止めています。点字の楽譜が全く無い時代から、演奏家として活躍をされていた和波さんの言葉は「点字楽譜がある」と、いうことを前提にしているのではないでしょうか。日本の中に、ご自分の仕事に信じるに足る点字楽譜が用意されつつあると、確信して下さっているのではないでしょうか。

私が点字楽譜というものを知ってから26年が過ぎました。今ではすっかりパソコン点訳が主流になりました。でもなぜパソコン点訳が必要だったのか、なぜ保存する事にこだわったのか、そのことを、苦しかった様々な経験を通して知ることができたのは良かったと思います。

私が楽譜の点訳をはじめたきっかけはほんの偶然です。そこに素晴らしい理念や情熱があったわけではありません。むしろ楽譜の点訳をはじめてから知ったこと、感じた事の方が多くあります。私は点訳を通して、トニカを通して一人の社会人として育てられました。

ずいぶん便利な時代になりました。でも便利だからこそ、パソコンの向こう側にいる人、楽譜の向こうにいる人に絶えず心を寄せ、楽譜を読むことを想像し、私たちは点訳をしていきたいと思います。これまでトニカは多くの方々のご支援とご助力を頂きました。どうかこれからも皆様のご支援を賜りたくお願い申し上げます。そして私たちと同じように楽譜点訳に携わる皆様、ご一緒に、同じ方向を向いて活動していきましょう。どうぞ今後もよろしくお願い申し上げます。

最後に、これまで全く社会性のない、またリーダーシップのとれない私を、トニカの代表者として育ててくださった、トニカの皆さん、いつも私を助けて下さったトニカの皆さんに、心から感謝申し上げます。皆さんがいらっしゃらなければ、私はここに立つこともできませんでした。この場をお借りして御礼申し上げます。
点字楽譜普及会「トニカ」会長  松永 朋子

花束を贈られる松永会長 「トニカ」20周年を記念する会”終了後
メンバーを代表して
「記念する会」実行委員長より
松永会長に花束が贈られました。
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毎日新聞ユニバーサロン 2007年6月22日掲載

 

バイオリニストの和波孝禧さんが演奏で祝福
−−点字楽譜普及会「トニカ」が20周年−−

楽譜を専門とする点訳ボランティアグループ、点字楽譜普及会「トニカ」(東京都板橋区、松永朋子代表)の設立20周年を祝う会が21日、都内で開かれた。当日は、バイオリニストの和波孝禧さんら利用者や支援者約70人が同会生みの親の松永さんを祝福、更なる会の発展を祈った。

「トニカ」は東京音大の講師だった松永さん(61)が「自由に楽譜を選べない視覚障害者の力になりたい」と87年に設立。自宅を事務所に開放して活動を続けてきた。会員は40代から70代の主婦を中心に現在36人。20年間に制作した点字楽譜はクラシックからポピュラーまで約9千曲に上る。

ICT(情報通信技術)の進展で、電子化された活字は自動点訳ソフトや読み上げソフトなどで視覚障害者が独力でアクセスできるようになった。しかし楽譜を点字に変換する技術は実用化されておらず、視覚障害者が楽曲を演奏する場合、楽譜点訳の専門知識のある点訳者に頼らざるを得ないのが実情だ。トニカの点字楽譜は、質の高さと完成の速さから最近では韓国など海外からの依頼もあるという。昨年、音楽教育の発展に貢献した団体を表彰する「第15回音楽教育振興賞」(毎日新聞社、音楽教育振興財団主催)の助成部門に選ばれた。

当日、あいさつに立った松永さんは、点字タイプを使っていた設立当時は同じ楽譜でも依頼がある度に制作し、1小節抜けたら全部打ち直さなければならなかったことなど苦労を披露。「修正や複製が可能になったパソコン点訳が当たり前の今日が夢のよう」と語った。また「ここまでやってこられたのは会員のお陰。いつも楽譜が届くのを心待ちしている利用者のことを忘れずに続けたい」と目を潤ませた。

続く記念演奏では、音大で後進の指導にも携わるバイオリニストの和波孝禧さんが、夫人の土屋美寧子さんの伴奏でバルトークのバイオリンとピアノのためのソナタ第2番など3曲を披露した。演奏前のあいさつで和波さんは「トニカの点字楽譜は世界的にも最高レベル」と評価。「母親の点訳だけに頼っていた頃は室内楽のほかのパートの点字楽譜まで用意できなかったが、トニカと出会ってからはオーケストラのフルスコアまで読めるようになり、指導の世界が広がった」と喜びを表した。

【2007年6月22日 岩下恭士】
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