トニカ通信

トニカ通信ご案内
第 3号 2000年9月
◎バリアフリーということ 代表 松永朋子
◆「トニカ」の点字楽譜を利用されている皆さんから
メッセージをいただきました
◇僕と点字楽譜
長野県松本盲学校中学2年 大月裕夫さん
◇私と音楽 栗見昌恵さん
◇楽譜は私の財産 小山礼子さん
◇私と点字楽譜の関わりについて 綱川泰典さん
◎編集後記

●トニカ通信 創刊号 ●トニカ通信 第2号
●トニカ通信 第4号 ●トニカ通信 第5号
●トニカ通信 第6号 ●トニカ通信 第7号
●トニカ通信 第8号

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◎バリアフリーということ 代表 松永朋子
上へ戻る 私の手元に、わかこま自立生活情報室で出版している「大学案内98障害者版」という大学案内がある。それによると、確かに大学は開かれつつある。

数年前に「ハートビル法」が制定され、大学でもハード面は、例えばスロープやエレベータ、車椅子対応のトイレ等、充実しつつある。では学習保証はどうだろうか。視覚障害者にとって最大のバリアである、講義を受ける上での点字テキストの用意はあるだろうか。辞書、参考書の類は図書館に用意されているのだろうか。音声や点字と互換できる入出力装置が設置されているのだろうか。

この春、「トニカ」にも多くの学生から点訳依頼があった。新年度の始まりから大体5月、6月は授業のテキストの点訳依頼が殺到する。一冊のテキストでも、点訳が終了し、依頼者の手に届くのは9月の終わり頃になってしまう。場合によっては1年以上かかるものも少なくない。依頼者達はその間の授業をどうしているのだろうか。大学は、受験させ、入学させたと言うだろう。でも、入学させるというのは、大学では視覚障害者を受け入れる準備が整っている、ということではないのだろうか。私たち点訳者は、一日も早く授業に間に合わせたいと心から願い、点訳に励んでいるのだ。

この大学案内の編集責任者はその後書きに「障害をもつ受験生は、単にどのような制度がその大学にあるかを知りたいわけではない。また、自分が大学に入れるかどうかだけが問題なわけでもない。障害をもち自分自身を切磋琢磨した結果として、自分あるいは自分の障害を受け止め理解していただいたうえ、学生として充分に社会生活を謳歌できる場所を求めている。」と書いている。

点訳という作業はコツコツとした地味な目立たない作業である。大きな声で理念や理想を語ることもない。それでも、様々な条件をもつ人々が、その条件のままに豊かに社会生活を謳歌できる環境を心から望み、点訳することで一歩でも近づきたいと心から願っているのだ。
(まつなが ともこ)
 


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◆「トニカ」の点字楽譜を利用されている皆さんから
メッセージをいただきました。

◇僕と点字楽譜
長野県松本盲学校中学2年大月裕夫さん

上へ戻る 僕は「トニカ」という点訳グループの名前を実際に知ったのは6年前の小学校2年生のときでした。それから「ツェルニー30番」や、「ツェルニー40番」や、今とりかかってくださっている「平均律クラヴィーア曲集」など、「トニカ」の方々に点訳していただいた楽譜は約20冊にも及びます。

僕と同じ全盲で、現在も活躍していらっしゃるバイオリニストの和波孝禧さんは、5歳にして点字楽譜がわかった、という現実に幼い自分の心が動かされ、僕も段々に楽譜の読み方や書き方を覚えていきました。「トニカ」を知る前までは、曲を覚えるとき、母に墨字の楽譜を読んでもらったり、テープやCDを聴いて音を拾ったりして覚えていました。そして、「ツェルニー30番」は、楽譜を読みながらわからない記号などは母に楽典で引いてもらいながら覚えていました。

しかし、「ツェルニー40番」の練習もそろそろ終了という小学校5年生くらいからは、気付かないうちに母に聞かなくても自分で楽譜が読めるようになっていました。

また、その頃から「自分で楽譜を読んだ方が覚えるのも早いし、覚えたときの喜びも大きい。」ということがわかってきました。今ではその頃よりも楽譜を読むスピードが早くなっています。

楽譜を読むだけでなく、書くことにも挑戦してみました。昨年12月の終わりに「ワルツ」という曲を作曲し、それを今年の元旦から4日までかけて書き残しました。あの4日間は起きている間中譜面書き、というようでしたが、この挑戦で楽譜を書くことが早くなったことなど、とても良い勉強になりました。

こうして楽譜の読み書きが早くなったことは、「トニカ」の方々が何曲もの楽譜を点訳してくださり、僕に色々なことを教えてくださったからだと思い、感謝しています。これからもいろいろな曲を練習したいので、よろしくお願いします。
(おおつき ひろお)

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◇私と音楽 栗見昌恵 さん

上へ戻る 私とピアノの出会いは、小学1年の頃だった。そのときは、面白くなかったため1ヶ月で辞めてしまった。それから5年間はピアノから遠ざかっていたが、音楽の授業は好きで、楽譜には興味を覚えていた。その後友達がピアノを習い始めたのを機に私も始めた。

初めて楽譜を読んだのは平井点字社発行の「バイエル」だった。それから高校まで習った。私は保健理療科を卒業し、勤め始めて余裕ができたら楽譜を使ってピアノを習いたいと思っていた。習い始めてみるとピアノをあまり弾いたことがなかったため全く弾けず、楽譜も最初から覚え直しという状態だった。何よりも強く感じたことは記憶力の遅さであった。

進んでいくということはせずに、片手ずつで4小節を覚えて弾くようにした。やっていくうちに、何か趣味でやっていくのならば目標を持ってやりたくなった。そんな時、ヤマハのグレード検定試験が行われていることを知った。9級から6級を少しずつ受けていった。6級が受かり5級を受けたいと思ったが、専門的なことがあり、ピアノの曲も今の私では無理だと思い、受けることを断念した。

私は音楽の基礎的なものが欠けていると思い、もっと勉強していかなければと思い、筑波大学付属盲学校専攻科音楽科を受験した。そこに通うようになって、たくさんの事を学ぶことができた。音楽の基礎的なことやピアノを演奏する心構え、一曲一曲の自分なりの表現を少しだが学ぶことができた。

現在は筑波大学専攻科音楽科を卒業し、都立文教盲学校の理療科に在学している。ピアノは続けている。いずれはヤマハのグレード検定試験5級にチャレンジしたいと思う。これからもピアノは自分のために続けていきたい。
(くりみ まさえ)

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◇楽譜は私の財産 小山礼子さん

上へ戻る ふと時間に余裕ができた頃、地元の方達と一緒に行動できるサークルがないものかと、考えていた折、知り合いの方が、混声合唱団に入っておられる方を紹介して下さいました。思いきって、見学という気持で練習場へ出かけました。その時の団員の方々の対応、また、指揮者の方、ピアニストの方達に暖かいものを感じ、未熟な私にも何とかついていけるかも知れないと思ったものでした。

現在では点字、テープとも、比較的早く新作にめぐり合える状態となっていますが、いざ楽譜となると、いまだに地元の点訳グループの方に打診してみると「楽譜はちょっと…」というお返事が返ってきます。入団した折にも楽譜のことがネックとなっておりましたが、紹介していただいたところが「トニカ」さんでした。それ以来、8年ほどお世話になっております。

入団したのが3月。その年の6月4日が定演という、とんでもない時期でしたが、お蔭様で楽譜を手にすることができて、何とか定演はクリヤーすることができました。

楽譜を手にして、まずその厚さに驚きました。声楽曲、ましてやスコアー・タイプとなっては、私は、初めて見ることだったのです。3、4小節を区切って、楽譜と歌詞と各パートが並行して書かれて、その機密な作業に頭がさがりました。そして、そのとおりに音と歌詞をたどって、少しずつ曲になっていくことに、心が満たされていきました。

あらためて、このように大変な作業に携わっておられる皆様に「感謝」の一言では言い尽くせないものを感じております。

こんな私に執筆の機会をいただき、ありがとうございました。今後とも、皆様の貴重な時間をいただくことになると思いますので、益々のご活躍を心からご期待申し上げます。
(こやま れいこ)

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◇私と点字楽譜の関わりについて 綱川泰典 さん

上へ戻る 私は昨年、武蔵野音楽大学音楽学部器楽科を卒業し、現在フルートの演奏による音楽活動を行っております。フルートは小学校4年生のときに、学校の音楽の先生の勧めで始めました。

そのときから楽譜を読むことを意識するようになったわけですが、小中学校を統合教育で学んだ私にとっては、墨字による学習はもちろん、当然僅かな視力を頼りに五線譜を用いてレッスンを受けてこなくてはなりませんでした。しかし、中学の中ごろから、自分の視力による学習の限界を強く感じるようになり、筑波大学付属盲学校の高等部音楽科へ進学することにしました。

盲学校での生活は、何もかもが初めてのことばかりで、戸惑うことも多々ありましたが、中でも点字への切り替えが最も大変でした。というのも、普通科とは異なり、音楽科の場合、日本語と英語の他に、楽譜も受験に間に合うよう3年間である程度は身につけなければならなかったからです。

点字楽譜を学ぶ際に感じたことは、まず五線譜のように音程と時間の流れを、それぞれ縦と横の軸でイメージできず、音列や略記を暗号のように解読しなければならないことへの戸惑いでした。しかし、日を追うごとに慣れて、これらを点字楽譜の合理性だと認識することができました。

次に感じたことは、フルートを構える際に両手の自由が奪われてしまうのですが、そのために以前はゆっくり音符を追いながら音を出して確認していた暗譜の方法がとれず、さらに楽器の特性上、右に偏った変則的なフォームの影響で、楽器を構えた状態での譜読みが容易ではないことです。

これも音や運指をイメージすることで克服するに至りました。高校の3年間、私は墨字と点字の楽譜を状況に応じて使い分けてきましたが、視力のさらなる悪化により、それも侭ならなくなりました。けれども、盲学校の先生方のご指導と、トニカを始めとする楽譜点訳ボランティアの方々のおかげで、現在は視力がなくても、点字楽譜を使って音楽活動ができることにとても感謝しております。

ここで、実際に点字楽譜を使用していて思うことを述べたいと思います。フルートを始めとする管楽器の演奏の現場では、初見の能力が問われます。逆に暗譜をして演奏に臨むケースはほとんどありません。

それがもしリサイタルであっても、ピアノや弦楽器とは異なり、演奏者の前には必ずといってよいほど、譜面台が立てられています。従って、視覚障害者にとっては墨字の楽譜を購入してからそれを暗譜するまでの時間が重要となります。私の場合、点字を読む速度がそう速くはないことと、既に点訳済みのフルート用のレパートリーがほとんど無い現状から、一歩遅れざるを得ません。

また、コストの面においても、何千円もする原本を購入し、それをコピーして、1枚数十円かけて点訳していただかなければ楽譜を見ることすらできないというのは、いくら点訳を取り巻く環境が良くなったと言えども、大変厳しいところです。

これらの理由から、どうしても点訳の依頼はいつも自分の担当するパート譜のみになってしまい、スコアを見て勉強するところまでは至りません。この点については、CDなどの録音を聞いて曲全体を捉えるようにして補っていますが、録音されていない曲に関しては、パート譜から可能な限り和声を読み取って、演奏表現のイメージを構築しなければなりません。

即ち、本格的に音楽を始めたのが遅かったこともあって、私には音符を詰め込む暗譜の仕方は困難です。ですから、いつも、まずはゆっくり読みながら、自分なりの曲のイメージを掴んで暗譜をしている訳です。

さて、いろいろな曲に触れていると、それまではかなり忠実な再現が可能だと思われた点字楽譜にも、特に時間的流れの面で、限界があることを感じます。例えば、音符と音符の間に記されたダイナミクスやトリルの扱いなどです。

また、新しい作品ともなると、その点訳すら困難なものも多くあります。こういった場合、ユーザーとしても対応策を考えなくてはなりませんが、そのためには既に存在している書式と重複しないように、記譜法の全てを知っておく必要があります。私自身は、まだまだ楽譜の知識に乏しいので、今後は新たな記譜法の拡張に貢献できるようになりたいと思っております。

最後に、最近コンピューターの分野で、視覚障害者の音楽を取り巻く環境に、いくつか新しい動きがうかがえますのでご紹介します。まずは、カワイの「スコアメーカー」というソフトを使用することで、スキャナから五線譜を読み取ってパソコンに演奏させることができます。

次に、カモンミュージックという会社が、MIDIというコンピューターの音楽演奏情報のデータから点字楽譜に変換するためのソフトを現在開発しています。もし、上記の2つを組合わせれば、楽譜の自動点訳も夢でなくなるかも知れません。

更に、マイクロ・シー・エー・デーから先日発売された「びーすこあ」は、初めての点字楽譜作成ソフトです。このソフトを使用すれば、点字楽譜の知識が無くても、五線譜のそれさえあれば、その作成が可能なようです。このソフトの登場によって、多くの方々に点字楽譜に興味をもっていただければ、今後の楽譜点訳の環境がますます良いものとなるでしょう。

それでは、今後ともご支援賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
(つなかわ やすのり)


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◎編集後記

「トニカ通信」第3号です。大好きな音楽のために一生懸命努力なさっている皆さんの姿に、もっとがんばって点訳しなければ、という気持になります。

しかし、点訳を取り巻く環境はまだまだ厳しく、問題も多いようです。新しいコンピューターソフトがどんどん開発され、使いこなすのも大変な今日この頃ですが、多くの方が気軽に音楽を楽しめる日もすぐそこまできているのかもしれません。今後とも「トニカ」をよろしくお願いします。 (広報)

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