トニカ通信
20周年記念号

トニカ通信ご案内
第 9号 2007年4月
◎20周年を迎えて ― 感謝を込めて
点字楽譜普及会「トニカ」代表  松永 朋子

ライン

トニカ設立20周年に寄せて、設立時にお世話になったかた、ユーザーのかた、賛助会会員のかた、関係団体、元・現会員といった多くのかたがたから原稿をいただきました。順不同・敬称略で掲載させていただきます。

ライン

◆◇◆◇◆目次◆◇◆◇◆
◇20周年の節目を超えて、大きな支援をいつまでも…
日本点字委員会点字楽譜担当委員、点字楽譜利用連絡会事務局長
加藤 俊和
◇永遠なれ「トニカ」! 名古屋盲人情報文化センター  浦口 明徳
◇「トニカ」さんとのご縁 高松 良隆・由美子
◇トニカの誕生を振り返って 宮里 隆太郎
◇クラッシックからポピュラーまで 岩下 恭士
◇点字楽譜で神を賛美 シスター  金井 玉枝
◇「トニカと私」 谷口 憲治
◇私とトニカ様との関わり 塚田 哲夫
◇トニカ バンザイ 中谷 靖弘
◇20周年に 山内 潤子
◇千のありがとうを 和波 孝禧
◇20周年に寄せて 日本点字図書館  伊藤 邦子
◇点字楽譜普及会「トニカ」の発足20周年をお祝いして
筑波大学付属盲学校  音楽科
◇トニカからの宿題 横浜国立大学  後藤 敏行
◇お祝いのメッセージ 楽譜点訳の会「星」会長  天野 亨
◇楽譜点訳グループの組織化
楽譜点訳「おたまじゃくし」代表  松田 忠昭
◇おめでとうございます 星加 恒夫
◇夢 賛助会員(元会員)  川島 秀子
◇いつの間にか20年! 会員  加門千明
◇発足20周年を想う 会員  桑山 道子
◇点訳の合間の家事 会員  古谷野 道子
◇マイペースで 会員  林 美代子

ライン

◎点字楽譜普及会「トニカ」のあゆみ
◎編集後記

ライン

●トニカ通信 創刊号 ●トニカ通信 第2号
●トニカ通信 第3号 ●トニカ通信 第4号
●トニカ通信 第5号 ●トニカ通信 第6号
●トニカ通信 第7号 ●トニカ通信 第8号

ライン

◎20周年を迎えて ― 感謝を込めて 代表 松永朋子
ページトップ 「楽譜点訳者に点字タイプライターを提供するためのチャリティーコンサート」1981年6月、新聞にそんな小さな記事を見つけました。それが私と点字楽譜との出会いでした。点字で書かれた楽譜があるということ、またそれを使って演奏する音楽家がいるということ、それは私にとって驚きと共に大変興味深いものがありました。1987年4月、1台のパソコンを購入し、自宅の一部屋を開放して楽譜点訳の会を設立しました。会の名称を、点字楽譜普及会「トニカ」としました。

トニカはある調の主音で、音階の第一音です。旋律の中心になり最も重要な音で、曲の終止符になることが多くあります。私たちの「トニカ」はその音に重ねられた三和音を意味します。すなわちドミソの和音の事です。この命名には様々な意味が込められています。

点訳は一人ではできません。必要とされる楽譜があって、点訳者がいて、それを校正する数人のメンバーがいて、それを届けるための細かな仕事を手伝うメンバーがいて、そして最後にその楽譜を演奏して頂き、私たちの点訳した楽譜は初めて完成するのです。たった一曲でも、そこには複数のメンバーの力が結集して楽譜は出来上がるのです。

この20年間私たちは数え切れないほどの楽曲を点訳してきました。でもそれ以前にそれだけ多くの点字楽譜を必要とするユーザーのかたが存在したということです。

「トニカ」は音楽を専門とする人たちの会ではありません。確かに会の中には音楽を専門に勉強したメンバーもいます。それは大変ありがたいことです。それにもまして心強いことは、メンバーの中に様々なジャンルの点訳経験者が存在するということです。メンバー個人個人の知恵と経験を共有する事。その信頼関係こそが「トニカ」20周年の大きな意義と私の願いでもあります。確かに会の中で人間関係の不協和音が鳴り響くこともあります。それでもトニカへ解決します。それは主和音で解決の和音でもあるから? いいえ皆さん「トニカ」が好きで、楽譜の点訳が大好きだからです。

これまで「トニカ」をご利用下さったユーザーの皆様。皆様が「トニカ」の楽譜を使って下さらなければ「トニカ」の20年はありえませんでした。「トニカ」は皆さんに育てて頂きました。心よりお礼申し上げます。有難うございました。

これまで「トニカ」をお心に留めて下さり、多くのお励ましやご支援を下さった皆様、皆様のお陰で「トニカ」は20周年を迎えられました。本当に有難うございました。私たちが望むことは、いつも点字楽譜を使う方々と共に歩みたいということです。私たちは明日からも今までと同じ気持ちで楽譜を点訳します。

ライン

◇20周年の節目を超えて、大きな支援をいつまでも…
日本点字委員会点字楽譜担当委員、点字楽譜利用連絡会事務局長
加藤 俊和
目次へ戻る 20周年、本当におめでとうございます。今年は私もわずかに関わった『世界点字楽譜解説』の墨字版が発行されてから35年の節目にも当たります。私が初めて松永朋子さんの活動場所を尋ねてお会いしましたのはもう15年ほども前のことだったでしょうか、ご専門のピアノをはじめ、音楽の知識を十二分に発揮されて点訳しておられる様子に感銘を受けましたことをよく覚えております。トニカの点字楽譜の正確さはよく知られており、トニカでないと…とおっしゃる音楽家も多くおられます。

1987年といえば、ないーぶネットの前身のてんやく広場が誕生するまだ前の年です。いま、トニカからインターネットで公表されている点字曲は約150冊ですが、個人点訳に供された楽譜の点訳はすごい数に及ぶことでしょう。点字楽譜がなくて困っている視覚障害者は今でも多くおられますが、このトニカがなかったなら、いま世界で活躍中の多くの視覚障害音楽家が実力を発揮できなかったのではないかと思いを馳せています。

20周年を一つのステップとして、これからも視覚障害者の点字楽譜を支えていかれることを心より期待しています。

ライン

◇永遠なれ「トニカ」!
名古屋盲人情報文化センター所長  浦口 明徳
目次へ戻る 「特定の分野を専門に点訳するサークルこそ点訳能力が高まり、点訳者にとっても利用者にとっても理想の形の筈!」という信念で楽譜点訳サークル「星」設立のための点字楽譜講習会を企画し、「星」の設立からその活動にかかわっていました。しばらくして松永さんが「星」に入会されましたが、一会員として「星」の中で活躍するよりは、松永さんの余りある才能とエネルギーをさらに開花させるために「とにかくトニカ!」と二人で「トニカ」を結成しました。それが結成20周年を迎えるとのこと。タネを蒔いたにすぎない私ですが大変嬉しく思います。皆様の地道で弛まない研鑽とご努力に対して心より敬意を表したいと思います。

「継続は力なり」と言います。今後とも「トニカ」の歩んできた道を永遠に繋げ広げて視覚障害音楽家の頼れる存在で有り続けて下さるように願っております。

ライン

◇「トニカ」さんとのご縁 高松 良隆・由美子
目次へ戻る このたびは発足二十周年を迎えられ心よりお祝い申し上げます。「トニカ」さんとのご縁は、代表者の松永朋子様が、我がマンションに入居されている頃からの始まりです。発足にご尽力、奮闘されているお姿を今は亡き両親も蔭ながら応援し、静かに見つめてきました。その心を私達も受け継ぎ密やかに応援させていただくつもりです。「トニカ」さんのご活躍は、亡き両親への大きなプレゼントです。そして何よりも我がマンションの一つ屋根の下でご縁(えん)があり、同じ空気を共有している事も私達にとって財産でもあり、とても誇りに感じています。

「トニカ」さんを支えてこられたスタッフの皆様の努力に心からの拍手を送ります。今後も「トニカ」さんの更なるご活躍とご発展を心よりお祈りしております。そして最後に「トニカ」さんとのご縁は、永久であって欲しい。切なる私達の望みです。

ライン

◇トニカの誕生を振り返って 宮里 隆太郎
目次へ戻る 初め、私は自分から楽譜の点訳者を育てようとは思っていませんでした。点字楽譜には苦労しながらも音大を卒業し、自分なりの音楽活動を進めようと思っていた時、誘われて楽譜点訳者を養成する講習会の企画に加わることになりました。

1980年2月8日、筑波大附属盲学校近くの喫茶店に、音楽好きの視覚障害者が6人集合したのです。かまだまさこ、関幸子、田辺藤祐、富島学、星加恒夫、そして私、宮里隆太郎。

それまでに大学受験のテキストなどを点訳するために、ボランティアとユーザーで実績を積み上げて来た「点字歩みの会」に応援をいただき、その年の夏休み期間の土曜日に、文京区福祉センターで講習会を開くことができました。

講習会の受講者の半数が集まり、楽譜点訳の会「星」を結成、翌年には点訳者に点字タイプライターを使っていただくための資金調達を目的にチャリティーコンサートを開くことができました。おりしも国際障害者年の盛り上がりの中、チャリティーコンサートは資金調達だけでなく、東京近郊の点訳ボランティアグループとの交流のきっかけにもなりました。楽譜の点訳を試みようというグループもいくつか現れ、点字図書館と盲学校が唯一だった楽譜の点訳が大勢のボランティアによって進められるようになりました。

世の中にはおせっかいやきの人も多いもので、困った人を助けることで幸せを感じる。真剣に私たちユーザーのことを考えていればこそ、自分たちの活動に少しの妥協もできないのです。「トニカ」が「星」から独立したのは、そういった強い思いがあったからだと思います。

パソコン点訳がはじまったばかりの頃、「トニカ」が積極的に活動を開始したことはとてもすばらしいことでした。現在、想像もできなかったほどの情報技術によって社会が大きく動き始めています。「ピアニスト(松永さん)がパソコンで腱鞘炎になってしまった。」なんてことがあって・・・。この遺伝子が次の世代のおせっかいやきにどう受け継がれていくものやら・・・。

ライン

◇クラッシックからポピュラーまで 岩下 恭士
目次へ戻る トニカ創立20周年おめでとうございます。趣味でフルートとサックス、キーボードを嗜んでおり、クラシック、ポピュラーを問わず楽譜点訳では創立当時からお世話になっています。

楽器歴30年のフルートでは、一番好きな作品であるジャン=ミシェル・ダマーズの「フルートとハープのためのソナタ」が届いたときのことが忘れられません。早速ランパルとラスキーヌ(リリー)が共演したCDを聴きながら譜読みをしたのですが、どうしても音の合わないところが2箇所ありました。墨字楽譜を確認していただいたところ、ひとつは些細な点訳の誤りでしたが、もう一方はなんと、ランパルが譜面にないフレーズを吹いていたのです。楽譜を見なければ気がつかない演奏者の興味深い変更でした。

40の手習いで始めたアルトサックスでは、中学生のときに初めて聴いたときからジャズの神様として崇拝しているチャーリー・パーカーの完全アドリブコピー譜をはじめ、音楽教室の先生が作成するアレンジ譜を点訳していただいています。

映画「スイングガールズ」のヒットや矢野佐織さんのような若手女性サックス奏者の出現で今サックスが大人気ということで、毎年3月に開かれる発表会では60人を超えるジャズサックス課の生徒がソロとアンサンブル演奏を披露します。プロのリズムセクション(ピアノ、ベース、ドラムス)をバックに思いっきりアドリブ演奏ができる楽しさ(緊張感?)は、練習用のカラオケCDでは絶対味わえないものです。

それにも増して楽しいのはアンサンブルです。バリトン、テナー、アルト、ときにはソプラノサックスまで加わって1グループ10人前後の生徒が作り出すハーモニーは一人で演奏するピアノやギターにはない厚みと迫力があります。

アドリブが命のジャズのアンサンブルでは演奏前にソロの順番は決めてあっても何コーラス演奏するか何回掛け合いをやるかなどはプレーヤーの気分やのり次第。当初、アイコンタクトの要求されるソロの受け渡しなどに不安もありましたが、リハーサルのときに隣で吹いている同じパートの女の子が「次」とか「ソリ(合奏)」などとそっと耳打ちしてくれたので全く問題になりませんでした。

アンサンブルのスコアは、毎回先生がアレンジしたものを使います。昨年演奏したスタンダードナンバーの「サテンドール」では直前にアレンジ変更がありました。リハーサルの数日前にメール添付のPDFファイルでアレンジ譜が送られてきました。余裕のあるときはパソコンのシンセサイザー音源で再生できるMIDIデータも用意してくれるので演奏を聴きながら暗譜することができますが、このときは譜面データだけでした。そこで「大至急」と無理を言ってトニカにスコアを送ったところ、翌日には点訳データがメールで届きました。おかげでリハーサルではみんなといっしょにバリバリ吹くことができました。

私にとって楽器を演奏することは日々の生活に潤いを与えると同時に、最大のリラクゼーションになっています。また、たとえ趣味のレベルであっても音楽は視覚障害者が社会参加できる最もよい分野だと思います。音楽をこよなく愛する視覚障害者のために、これからもトニカの活動が充実発展することを利用者の一人として心から願っております。

ライン

◇点字楽譜で神を賛美 シスター  金井 玉枝
目次へ戻る 私がトニカを知ったのはもう10年以上も前のことでした。私が所属している、「十字架のイエス・ベネディクト修道会」は1930年にフランスで創立された、身体障害や虚弱体質の方にも開かれた観想修道会で、主要な任務は日に6回おこなわれる共同の祈りです。聖堂内で聖書朗読を聴き、賛美歌を歌い、聖書の内の詩編を、二つの歌隊がオルガンやシタールの伴奏で交互に美しく歌い神を讃美します。

1974年に私は本会に人会し、先ず共同の祈りに使うテキストや讃美歌の点訳にとりかかりました。盲学校の音楽の時間に基礎的な点字楽譜を習いましたので、一人のシスターが読んでくださる音符を聞きながら、自己流の楽譜を作り、皆について歌う程度で満足していました。

そうこうしているうちに命じられた仕事の一つが、歌の練習の指導でした。歌を歌うのは好きですが自己流の楽譜では困るのです。修道院からは、点訳を頼む許可を得、トニカを捜し当てました。私の依頼にこたえて、発起人の松永朋子様が修道院へおいでくださりこちらの必要に御理解をいただきました。松永さんが持ってこられた、私の先輩の、塩谷靖子(しおのやのぶこ)さんとのデュエットのカセットで美しい歌を聴き、歌の練習指導に自信のない私は励まされたものでした。それからは新しい楽譜が配られるたびにトニカに送り、安価な費用で必要を補って助けていただきました。

最近は教会内でその国の言葉で歌うことを奨励しますが、私が洗礼を受けた1970年頃まではグレゴリオ聖歌が主流で言葉はラテン語でした。グレゴリオ聖歌は自由リズムで祈りに最適なのです。日本語では、グレゴリオ聖歌の旋律が生かされないことから歌われなくなることが残念で、私は機会あるごとにグレゴリオ聖歌を取り入れるように努めました。歌の係りのシスターからその楽典を習い四線譜にはめ込まれるヌームの記号とその機能について習いました。その点訳もトニカが引き受けてくださいました。とにかくその仕事は5年間続けました。

暗譜で歌うと時々思い違いで休止符をとばして旋律を乱すことになりかねませんが、点字を探りながら歌うと練習の域を抜けられません。声楽をされる全盲の方々はどのようにしていらっしゃるのでしょうか? 小学生の頃はまだ視力がありましたが、五線譜を見た記憶はありません。私達はお琴やピアノ、ギターの楽譜を指で読み、暗譜し、ようやくひけるのです。もちろんそれだけ努力してもする価値のある音楽の魅力は、努カするほど深く、広く味わえるように思えるのですが。

グレゴリオ聖歌の点図の楽譜はないかしら?小節ごとに図を作るとしたら、1曲で膨大な枚数になることでしょう。共同の折りに適当な賛美歌は少ないもので、最近は作曲ができたらと夢みています。

トニカの発足20周年に、利用者の一人として書かせていただきました。松永様にその直感を与えてくださった神の寛大さに、そしてトニカとそれを支えてこられた皆様の熱意とお心に感謝申し上げます。

ライン

◇「トニカと私」 谷口 憲治
目次へ戻る 私がトニカのお世話になりはじめて、もう何年になるのだろうか?20周年記念という事で振り返ってみる事にした。

私がトニカを知ったのはNHK教育テレビの趣味講座「ピアノでポップスをI」を点訳していただきたいと思った時の事である。今となっては、何処をどう辿ってトニカへ行き着いたのかは定かではないが、とにかく、トニカへ楽譜の点訳をお願いする事ができた。

半年余りの時が過ぎ、楽譜が出来上がって来たのだが、これまで私が独学で勉強し、エレクトーンで慣れ親しんでいた音符法ではなく、音程法の楽譜であった。それからというものは、点字楽譜の解説書を片手に、ピアノを弾くというより点字で表された暗号を解読するような作業が続いた。それが段々曲らしくなって行き、最後には一曲弾けるようになったのである。その時の喜びは、今でも心の奥底に残っている。

数年前にパソコンを始めてからは、ピアノの上に物が載り、演奏される機会も段々少なくなり、最近ではほとんど弾かれる事がなくなってしまった。これを機会に、初めて憧れのピアノで五輪真弓の「恋人よ」を弾けるようになった日の喜びを思い出し、また、ピアノに向かってみようかと思う。

最後に、トニカがいつまでも、音楽を愛する視覚障害者の支えとなり続ける事を心から願っております。

ライン

◇私とトニカ様との関わり 塚田 哲夫(盲難聴)
目次へ戻る こんにちは。東京在住の塚田と申します。私は子供のころより音楽が大好きで、三歳のころよりピアノを続け現在にいたっております。

私は先天盲で点字使用でしたが、こと音楽に関しては耳から音を覚えるのが当たり前。今思い出してみても、まだ点字楽譜の存在すら気付いていなかったように思います。

楽譜は家人に読んでもらって覚えました。今でも覚えている事は、学校から帰ってくると一にも二にもピアノの前に向いとにかく暗譜をする事でした。子供のころの思い出といえば、とにかく暗譜に時間を割いた事でした。

そんな私が点字楽譜と出会ったのは、高校生の時でした。当事治療院やサウナにお勤めしていた盲学校の先輩が手の空いている時に学校に来て下さり、私に楽譜を貸して下さったのでした。その時にお借りした楽譜は、今でも忘れません。モーツァルトの「ファンタジー」。メンデルスゾーンの「序奏とロンドカプリチオーソ」。滝廉太郎の「憾(うらみ)」といった楽譜で、今思い出しても心ときめくものばかりでした。

このころを境に少しずつ点字楽譜に触れる機会が増えて来ましたが、その当時はまだまだ国内には点字楽譜がとても少ない状態でした。やむなく下手な英語で「American Printing House」に楽譜を送ってほしい旨の手紙を書いた事も、今となってはなつかしい思い出になっています。

そんな私ですが、社会に出て二年目くらいだったでしょうか?現在でも活動を続けている視覚障害者の演奏家団体・新星‘78のメンバーより楽譜点訳グループの存在を教えて頂き、そしてその楽譜点訳グループの方からトニカ様の存在を教えて頂いたのが私とトニカ様との始めての出会いだったように思います。

そのような中で、トニカ様との一番の関わりは「市田儀一郎(いちたぎいちろう)」という人の書いた「平均律・その演奏法と解釈」という本を点訳して頂いた事です。この本はバッハの書いた平均律クラヴィーア曲集について一曲ずつ和声楽や対位法的な立場から楽曲分析をし、そしてその演奏法について懇切丁寧に書かれた本で点字にすると27冊にもなります。しかしながらこの本は大変読みごたえのある本で、私にとって今でも座右の書として読み返す事のよくある本です。

それにしても、子供のころは点字楽譜はおろか耳から音を聞いて覚えるのが当たり前の状態でしたが、今ではトニカ様のような楽譜を点訳して下さる方々がいらっしゃるからこそ、その恩恵を受ける事ができるのであり、本当に感謝するばかりです。またみなさん、お忙しい中貴重な時間をさいてこのような楽譜を点訳して下さるのですから、ただただ感謝するばかりです。

今後のトニカ様の御発展を心よりお祈り申し上げますとともに、今後点訳に携わっていらっしゃる皆様方との交流の機会があればと願っております。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

拙ない文章で大変恐縮ですが、この辺で失礼いたします。

ライン

◇トニカ バンザイ 中谷 靖弘
目次へ戻る トニカ発足20周年、まことにおめでとうございます。これも皆様の献身とたゆまぬ努力によるものと思います。プロの音楽家を目指している人はもちろん、私のように趣味でやっている者にとって、とにかく大きな支えなのです。その光を絶やすことなく輝きがさらに増していきますよう念じております。

さて私は生まれつきの弱視でしたから、盲学校で教育を受けました。在学中チャンスがあって、ヴァイオリンを習うことができました。点字の楽譜といえば音楽の教科書のみでしたから先生のお弾きになる通りに覚えて弾いていました。子供の時はすぐに曲も覚える事ができてとても楽しい練習でした。

四年目に入ると先生が遠くへ転勤をされ他の先生についたりしたのですが、長続きせず独学を余儀なくされました。そこで楽譜の必要性に迫られ、バイエルから始めてピアノをたたきながら楽譜を読む訓練をしたのです。そしてポピュラーなソナチネを弾いたりできるようになりました。楽譜を読むにはレンズが必要でした。こうして私はレンズで楽譜を見て暗譜しヴァイオリンを弾くというやり方を続けました。

社会人になってもそうしていました。ところが三十半ばを過ぎると急に視力が落ちあっという間に光を失いました。ヴァイオリンからも次第に遠のいて行きました。数年後、世の中は国際障害者年という事で私も仲間と一緒に福祉活動に協力しました。そんなある日の事、テレビから和波さんのヴァイオリン演奏が聴こえてきたのです。フランクのヴァイオリンソナタ イ長調でした。私はそれを聴いて心にガツンと来るものがあって以来ヴァイオリンへの思いが募るばかりでした。そして点字の楽譜でなんとかしようと決心したのです。

しかし何処にも教えてくれる所はないしただ図書館にあるわずかな本に頼るしかなかったのです。自己流の訓練を続けながらもヴァイオリンの楽譜のことを考えていました。読んでもらって書き取るなどとても無理だしピアノで弾いてそれを書き取るのも聴音のテストのようなことをしていると時間もないし神経はもたない。専用の印刷所へ頼めばつくってくれると聞いてはいましたが、当時、家のローンをかかえていた私にはそんな余裕はありません。

ところがそんな私にちゃんと助けが用意されていたのです。トニカのことが点字毎日に載ったのです。私は天にも昇る心地でした。さっそく点訳を依頼したのです。和波さんの演奏が忘れられず、フランクのソナタをお願いしました。3ヵ月後それは送られてきましたが活字のものに比べて分厚くずっしりと暖かいものでした。私はそれを何回も読み返すうちに指の先から音楽が伝わってくるようになりました。それで思わず涙がでて仕方がありませんでした。日曜の外出を避けて練習に没頭しました。半年後なんとか弾けるようになっていました。うれしかったです。これでヴァイオリンが続けられると思いました。感謝の気持ちでいっぱいでした。トニカ バンザイです。以来トニカとのお付き合いが始まり十数年になるかと思います。

今年の正月にも娘たちが遊びに来てくれピアノを弾いてくれてスプリングソナタ等弾いてとても楽しかったです。本当にヴァイオリンをやっていてよかったと思う今日この頃です。技量はともかく健康の許す限り楽しく引き続けていきたいと思います。

ライン

◇20周年に 山内 潤子
目次へ戻る トニカの皆様に点字楽譜をお願いするようになってもう10年以上になると思います。読みやすい楽譜に支えられてリコーダーとコーラスと練習を楽しくやっております。ただ感謝あるのみです。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

ライン

◇千のありがとうを 和波 孝禧
目次へ戻る トニカの発足20周年を、心からお喜び申し上げます。私は、1989年からずっと点訳をお願いしてきましたが、トニカの楽譜が私の音楽活動にどれほど大きな役割を果たしているか、とても言葉で表すことはできません。そして、点訳して下さる皆様へのお礼の気持ちも、何千回「ありがとう」を唱えても足りないほどです。

1月に東京文化会館小ホールで開いた「アフタヌーンコンサート」の席上、私はステージで、トニカが点訳して下さったドヴォルザークのピアノ五重奏曲の 235ページを綴じ込んだ2冊のファイルを高く掲げ、「これがあるから私は室内楽が演奏できるのです」と話しました。私の使う楽譜は、長年母が点訳してくれていましたが、室内楽作品ではヴァイオリンのパートだけ書いてもらうのが精一杯でした。しかし、トニカの豊富な人材と高い点訳技術が、室内楽の全パートはもとより、協奏曲のスコア譜の製作までも可能にしてしまったのです。

3年前、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のスコアが出来上がった時、私は分厚いファイルを前にCDを聴き始めました。「ああ、この楽器とこの楽器を組み合わせるとああいう音になるのか……。」 耳では隅々まで知り抜いているはずの作品が全く初めて聴く曲のように響き、耳と指先から伝わる大きな感動が体中を駆けめぐりました。日本でも海外でも、何十回も演奏してきた曲を、私は新たな視点で勉強し直すことができたのです。

トニカの皆さん、本当にありがとうございます。これからも音楽を愛する視覚障害者のために、トニカがますますの発展を遂げられることを願って止みません。

ライン

◇20周年に寄せて 日本点字図書館 伊藤 邦子
目次へ戻る 創立20周年、おめでとうございます。代表の松永さんをはじめ、トニカの会員の皆さまの情熱とご努力にはいつも敬意を表しております。

私は日本点字図書館(日点)の点字図書製作部門で長く働いておりますが、子どもの頃から歌うことが好きで、コーラスを続けていたことなどもあって、点字楽譜の製作(コーディネート)を担当するようになりました。

ただ、日点の蔵書製作の中では楽譜製作に注げる力も限られていて、点字楽譜を必要とされている方々へのサービスとしては、情報提供が主になっております。

そんな中、トニカさんは本当に頼りになる存在です。利用者や楽譜点訳を目指す方から、また各メディアの取材など、点字楽譜・楽譜点訳に関する様々な問い合せを受けますが、これまで幾度となくトニカさんを紹介させていただきました。それも“トニカさんなら”と、安心して。

これからもその組織力をもって、点字楽譜の充実にますます貢献されますことと期待しております。

ライン

◇点字楽譜普及会「トニカ」の発足20周年をお祝いして
筑波大学附属盲学校 音楽科
目次へ戻る 点字楽譜普及会「トニカ」発足20周年。心よりお祝い申し上げます。

筑波大学附属盲学校では、当初より音楽科生徒はもちろん、多くの生徒や卒業生が大変お世話になっております。

“点字楽譜普及会「トニカ」”というお名前は、点字楽譜の広い普及に大きな役割を果たそうとする熱い思いと責任感と、この仕事に携わる誇りを湛えています。

代表の松永朋子様には、1997年6月に行った本校の公開講座の講師としてご講演いただきましたが、その折には「点字楽譜を使う立場と作る立場の両方から、実態を明らかにし、今後のあり方を検討する」という大きなテーマに沿って、実際の使用例を多くとり上げながら、一般の参加者にもわかりやすい内容でお話いただきましたことも懐かしく思い起こされます。

今後の益々のご発展をお祈りいたします。

ライン

◇トニカからの宿題 横浜国立大学  後藤 敏行
目次へ戻る 「良く分からないけど、Kさんが点字楽譜というのを始めたらしい」というカミさんの言葉。これがトニカとのお付合いのきっかけになった。さっそく、「点字楽譜って、五線譜が出っ張っているんですか?」。「いえいえ、6点点字で書くんですけど・・・大変なんです」と電話でKさん。昨日のようであるが、もう12年になる。

その4月、「点字楽譜のシステムを卒論でやりたい」と手を上げた尾上君とトニカを訪ね、初めて松永さんとお会いした。そのときの宿題が「ギロック」だった。初級の曲であるが、左右の旋律が絡む。五線譜は予想外に難しい。いま振り返るに「ちょっと意地悪だ」と思いつつ、そこに「自動解析するならこのくらいはクリアするべし」というメッセージがあったように思う。その後、多くの学生が研究を引き継ぎ、ギロックと格闘して10年。ようやく楽譜点訳システムが研究室のホームページで動くようになった。最近は、会長自ら自動点訳をチェックしてくれる。「継続は力。少し認めてくれたかな」。我々としては、引き続きご支援を頂きながら、点訳者のサポートやユーザーの直接利用に耐えるシステムに育てたい。

トニカ20周年。この間に創られた点字楽譜は1万曲近いと聞く。これがデータベースになり皆が使えるようになると良い。25周年が楽しみだ。

ライン

◇お祝いのメッセージ 楽譜点訳の会「星」会長  天野 亨
目次へ戻る 点字楽譜普及会「トニカ」の皆様、設立20周年にあたりまして心よりお祝い申し上げます。

20年間トニカの皆様が視覚しょうがい者の方々のために熱心な活動を続けてこられた事に、私たちも注目いたしております。点訳ボランティアのきっかけとなった27年前のことを思い返しますと、隔世の感があります。当時、楽譜を点訳できる人は限られていました。そのような状況の下で視覚しょうがいのある音大生たちが、点訳者養成講座を開きました。その活動が流れをつくり、今では楽譜点訳のグループ・点訳者も増え、点訳済の楽譜も多く出来上がってまいりました。

まだまだ点字楽譜利用者の必要に十分にお応えできているとは申せませんが、点字楽譜を円滑に提供できるようにと環境づくりも始まっています。私たち星の会も貴会をはじめ各点訳グループの方々との交流を深め、視覚しょうがい者の音楽・文化の発展に皆様と共に寄与することが出来ればと願っております。

今後とも点字楽譜普及会「トニカ」のさらなるご活躍とご発展をお祈り申し上げます。

ライン

◇楽譜点訳グループの組織化
楽譜点訳「おたまじゃくし」代表  松田 忠昭(松山市)
目次へ戻る 「トニカ」の皆さん、発足20周年をお迎えになられましたこと、誠におめでとうございます。

その間のめざましい活躍ぶりとすばらしい業績に対しまして心から敬意を表します。私も、松山盲学校在職中には、吹奏楽やリコーダーアンサンブルの楽譜などの点訳をお願いし、トニカさんには大変お世話になったひとりでございます。ことにリーダーを勤めておられる松永様からは、お電話であるいは直接お目にかかって、トニカの活動ぶりや点字楽譜に寄せる深い思いなどをお聞かせいただきました。それらは、1999年に私どもが創設したおたまじゃくしの活動や運営の大きなよりどころになっております。わずか8年余りの活動を通して、今私が感じていることの一端を申し述べて、トニカ発足20周年に寄せるお祝いの言葉にさせていただきたいと思います。

1.楽譜点訳グループの連携(組織化) 一番望まれることは、各地で活動している点訳のグループが連携を深めその組織化を図ることだと思っています。そうすれば、お互いに情報交換や話し合いによって、書き方の統一や工夫を図ることができ、共通理解の下により読みやすい楽譜を提供することができるようになっていくことでしょう。

2.点字楽譜の普及  盲学校における点字楽譜の指導は、年を追うごとに弱体化して参りました。一番は教師に問題がある訳ですが、小・中学部の生徒でも理解できる点字楽譜のテキストを作ることが必要だと思います。現在点字で出版されているものは、文章表現や譜例が児童・生徒には理解しがたいと思われます。このテキストの発行を文部科学省に働きかけて実現して欲しいのですが、それには日本点字委員会の下に点字楽譜検討会を設けて、その必要性を具体化し、文科省に働きかけて行かなければなりません。

3.点字楽譜研究会の設置  「世界点字楽譜解説」「点字楽譜の基礎」「点字楽譜の手引き」「新国際点字楽譜表記解説」他いろいろな解説書が出版されてきました。それらの資料に加えて、日本ライトハウスが出版している「小・中・高校の音楽教科書」を加えて、それぞれの書き方の違いを検証し、読みやすい楽譜点訳のあり方を構築していく研究会を設けていただきたいものです。

4.点訳依頼者へのお願い  ただ点訳を依頼するだけでなく、点訳グループのあり方や組織化についても関心を持ち、楽譜点訳活動の推進役にもなっていただきたいものです。

こうしたことを実現していくには、どうしてもその推進役になって下さる母体が必要です。その推進役をどこかへお願いするにしても、やはり楽譜点訳グループの組織化の実現が先決でしょう。

東京には、「トニカ」「星」などに加えて、附属盲学校には音楽科があります。その方々が中心になって組織化を実現し、点訳活動のみならず、点字楽譜の普及にも活動の場を広げていく基礎作りをして、音楽家や音楽愛好家を育てる布石になっていただきたいと切に願うものであります。

今後とも一層のご指導を賜りますようお願い申し上げますとともに、皆様の更なるご活躍とご健勝をはるか松山の地よりお祈りいたしております。

ライン

◇おめでとうございます 星加 恒夫
目次へ戻る トニカ発足20周年、おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。

また、貴会の会員の皆様方におかれましては、いつまでも『ブレイルスター』をご愛用いただき、本当にありがとうございます。

私が点訳ボランティアの方々と関わりをもたせていただくようになったのが、ちょうど今から30年前のことです。当時は、もちろんまだパソコンはありませんでしたし、点字タイプライターを使われる方もごく限られていました。何より、楽譜の点訳ができるボランティアの方は皆無に等しい状況にありました。

そこで私は、「楽譜を専門に点訳するグループをつくろう」と決意し、友人の盲音楽家に呼びかけ、楽譜点訳講習会を開催し、グループを結成することができました。そして、すべての会員の方が、点字タイプライターを用いて、少しでも楽に効率よく点訳していただきたいという思いで、その購入資金集めのためのチャリティーコンサートを開いてもらいました。貴会を発足された松永さんとは、そのコンサートで出会わせていただいてからのお付き合いです。

それからの世の中の変化はめざましいものがありましたが、今後はそれがますます加速するかもしれません。そんな変化にも機敏に対応いただき、少しでも長く視覚障害者音楽家のために活動を続けていただくようお願いするとともに、今後の貴会のますますのご発展を祈念させていただきます。

ライン

◇夢 賛助会員(元会員) 川島 秀子
目次へ戻る 私がトニカに入会したのは、事務所が今の場所に移転される少し前だった。それから約十年間在籍、人のためという以上に、自分自身が充実した年月を送ることが出来たと感謝している。

ところで、当時私には夢があった。それはパガニーニのヴァイオリン協奏曲のスコアを点訳することだった。使われるアテもないのに、である。いつの日か、大好きな曲の始めから終わりまでを全部、自分で、ただひたすら点訳してみたいと思った。弦部門を担当することが多く、その中でパガニーニのカプリス等を手がけているうちにその思いが頭をもたげ、だんだん強くなり、楽譜も買った。スコアの点訳は好きで、よく深夜まで夢中でやったものだ。

しかし「目の良い者は、早く老眼になる」と云われるが、私も例外ではなく、視力が急速に低下し、メガネをかけても、点訳はやめざるを得なかった。結局、夢は夢のままで終わってしまった。パガニーニを聴くといつも少し残念な思いが甦って来る。

ライン

◇いつの間にか20年! 会員  加門 千明
目次へ戻る 1987年6月に板橋区報を見て、松園ハイツ401でトニカ講習会を受講してから20年! 模様のように見えた点の数々が、規則を知った途端、急に意味を帯びて見え始め、新しい言語を学ぶような感動を覚えたことを思い出します。

板橋区在住なので自転車で通っておりましたが、10年前にトニカに向かう途中、突然くも膜下出血に襲われ路上で倒れました。幸運にも居合わせた見知らぬ人がすぐ救急車を呼んでくださったので命拾いをしました。もしも家で倒れていたら発見が遅れ、家族が帰ってくるまでに亡くなっていたかもしれません。しばらく入院、療養で中断はありましたが、細々とでもやってこられたことを有難く思っております。

点訳の面では常に勉強させてもらうことばかりで、いつまで経っても未熟者ですが、読みやすくて正確な点字楽譜を少しでも早く依頼者にお届けできるよう心がけていきたいと思っています。

ライン

◇発足20周年を想う 会員  桑山 道子
目次へ戻る “20年”一口に20年といいますが、生まれてきた子が成人式を迎える----。50歳台で入会した私は70歳台になるという、びっくりするような月日の流れです。

トニカは自治体などのバックがありませんので、発足の初志を貫徹すべく皆で話し合って決めてゆく。何時も手探りで一生懸命やるだけでしたので、思い出といっても無我夢中の初期でした。

その様な紆余曲折の活動中に多くの方々がトニカを去られた事は本当に淋しい事でした。その方々の努力の上に今のトニカがあるといっても過言ではないと思います。

ご利用頂いている皆さんにとってはトニカの活動は如何お感じでしょうか?点訳者が変わったり、分野の曜日が変わったり、価格の変更等々ご不便をお掛けした事もあったのではと存じます。これからも依頼される方々の立場にたって、原点を忘れず奢ることなく、30周年・・・に向かってトニカの活動が続きますよう祈ります。どうぞよろしくお願い申し上げます。

ライン

◇点訳の合間の家事 会員  古谷野 道子
目次へ戻る “点字楽譜”という言葉を初めて目にしたのはある新聞記事だった。40代後半、何かボランティアをと考えていた頃で、点字のイロハも知らず音楽が好きということだけで、“これだっ!”と問い合わせ先に電話をしたのが、私の楽譜点訳にかかわる第一歩だった。五線譜にかかれた音符はもとより、ありとあらゆる音楽用語や記号がたった6点で表されることにびっくりし、パソコン入力という手ごわい作業にびびりながら、一番にやめるだろうと思われた私が十数年余りも続いている。 “家事の合間の点訳”が“点訳の合間の家事”にと、いつの間にか点訳中心の生活に変わっていた。これまでいろんな楽譜を点訳させてもらったが、点訳に悩むことが多い楽譜ほど、やりあげた時の達成感は応えられなく、本当に面白い。

そんな私も止めたくなった時もあるが、良い仲間に恵まれ支えられて今日まで続けられている。いろんなことに感謝しながら、点字楽譜を必要とする方達のお役に立てるよう、もう少し頑張りたいと思っている。

ライン

◇マイペースで 会員  林 美代子
目次へ戻る トニカ設立20周年を在籍中に迎えることが出来ましたことをうれしく思っております。

点字のことは何の知識もないまま、なぜか点訳ということが心のどこかにひらめいているときに、新聞でトニカの記事を見ました。音楽が好きな私は文章より楽譜の方が楽しいのではと本当に単純な気持ちで参加しました。

当時はまだ今のようにあちこちに点字の表記などなく点字と言うものも見たことがなくパソコンを使っての点訳など思いもよらないことでした。早速パソコンを買い、触るのも初めてで恐る恐る、そしてうきうきと始めました。ボランティアは細く長く自分の生活の一部として続けることという話しを聞いたことを思い出し、本当にマイペースでいつの間にか15年が過ぎました。

パソコンの進化とともに点訳の依頼、本の発送の方法も変りトニカの事務所も近代化しました。

点訳表記の研究、統一をユーザーと共に考えて進化を促し、点訳の技法、能力をたかめ、ますますトニカの発展をと願っています。

ライン

◎点字楽譜普及会「トニカ」のあゆみ ・・・ 1987年4月 〜 2007年3月
◆1987年(昭和62年)
4月・・・・・・・「トニカ」設立(南常盤台 松園ハイツ401号室)
6月・・・・・・・板橋区報に「トニカ」会員募集の記事掲載
9月〜・・・・・第1回楽譜点訳講習会 於 東京都障害者福祉会館
◆1988年6月
第1回総会(以降毎年開催)
点訳料金 1枚 15円
「トニカ」点訳目録作成(盲学校、点字図書館、個人等400件以上発送)
◆1989年(平成元年)
6月・・・・・・・資金調達のためリサイクル活動を始める
8月〜・・・・・点字毎日新聞・点字ジャーナルに楽譜出版の広告掲載
11月・・・・・・安田火災記念財団からボランティア助成金受領(その後、ソニー、東京都社会福祉協議会、主婦の友社、東邦生命、三菱ソシオルーツ基金、ツルカメコーポレーション、日本財団、アイメイトコンサート、大和證券福祉財団、太陽生命、東京都共同募金会、音楽教育振興財団から助成金受領)
◆1990年
5月・・・・・・・第7回東京パイロットクラブ賞受賞(松永)
7月・・・・・・・高崎市群馬交響楽団合唱団にて楽譜点訳講習会指導(ぐんま楽譜点訳の会)
10月・・・・・・第1回「トニカ」教養講座(講師足立勤一氏)(以後原則、毎年実施)
12〜3月・・・藤沢市点字図書館主催 楽譜点訳講習会(楽譜点訳グループ「アンダンテ」)
◆1991年10月
松園ハイツ101号室に事務所を移転
◆1992年8月
点字毎日に『日本に於ける点字楽譜の現状について』の記事掲載
◆1993年
4〜7月・・・・新潟市目陽会にて楽譜点訳講習会(新潟楽譜点訳の会「ラルゴ」)
6月・・・・・・・☆暫定的にフロッピー出版開始、点訳料金 1枚 20円
◆1994年
4月・・・・・・・朝日新聞「ボランティア訪問」掲載『点字楽譜の必要性と点訳過程』
9月・・・・・・・第2回「トニカ」楽譜点訳講習会(板橋区産文ホール)
◆1995年
2月・・・・・・・和波孝禧氏バースデーコンサート協賛
10月・・・・・・音楽辞典フロッピー出版
◆1996年
4月・・・・・・・ベイFM『ボランティア紹介コーナー』にて「トニカ」紹介
7月・・・・・・・雑誌「労災だより」掲載『パソコンで楽譜点訳』
◆1997年9月
賛助会発足
◆1998年
8月・・・・・・・日本テレビ(24時間テレビ)「愛は地球を救う」点字協力
10月・・・・・・「トニカ通信」創刊号発行(以後原則年1回発行)
◆2000年11月
ホームページ開設
◆2002年9月
チェルニー40番 原本価格で出版
茨城県点字図書館主催 楽譜点訳講習会指導(楽譜点訳グループ「カノン」)
◆2003年3月
横浜国大(後藤・田村)研究室の点字楽譜自動解析研究への協力開始
◆2004年12月
関東点字楽譜研究会に参加
◆2005年4月
点字楽譜利用連絡会(点譜連)に参加
◆2006年
3月・・・・・・・音楽教育振興財団「音楽教育振興賞」受賞
7月・・・・・・・点譜連総会 (松永会長記念講演)
目次へ戻る

ライン

◎編集後記
目次へ戻る 20周年記念号のために、多くの方に原稿をお願いしました。ここに改めて御礼申し上げます。皆様からの原稿を読みながら、トニカの20年は、日本の楽譜点訳の歴史と重なるような気がしました。特に、点訳楽譜が手に入りにくかったころのユーザーの方のご苦労には頭が下がります。今後も楽譜点訳活動が続けられますように、皆様のご支援とご理解をよろしくお願いいたします。

トニカ通信ご案内