|
私の手元に、わかこま自立生活情報室で出版している「大学案内98障害者版」という大学案内がある。それによると、確かに大学は開かれつつある。
数年前に「ハートビル法」が制定され、大学でもハード面は、例えばスロープやエレベータ、車椅子対応のトイレ等、充実しつつある。では学習保証はどうだろうか。視覚障害者にとって最大のバリアである、講義を受ける上での点字テキストの用意はあるだろうか。辞書、参考書の類は図書館に用意されているのだろうか。音声や点字と互換できる入出力装置が設置されているのだろうか。
この春、「トニカ」にも多くの学生から点訳依頼があった。新年度の始まりから大体5月、6月は授業のテキストの点訳依頼が殺到する。一冊のテキストでも、点訳が終了し、依頼者の手に届くのは9月の終わり頃になってしまう。場合によっては1年以上かかるものも少なくない。依頼者達はその間の授業をどうしているのだろうか。大学は、受験させ、入学させたと言うだろう。でも、入学させるというのは、大学では視覚障害者を受け入れる準備が整っている、ということではないのだろうか。私たち点訳者は、一日も早く授業に間に合わせたいと心から願い、点訳に励んでいるのだ。
この大学案内の編集責任者はその後書きに「障害をもつ受験生は、単にどのような制度がその大学にあるかを知りたいわけではない。また、自分が大学に入れるかどうかだけが問題なわけでもない。障害をもち自分自身を切磋琢磨した結果として、自分あるいは自分の障害を受け止め理解していただいたうえ、学生として充分に社会生活を謳歌できる場所を求めている。」と書いている。
点訳という作業はコツコツとした地味な目立たない作業である。大きな声で理念や理想を語ることもない。それでも、様々な条件をもつ人々が、その条件のままに豊かに社会生活を謳歌できる環境を心から望み、点訳することで一歩でも近づきたいと心から願っているのだ。
(まつなが ともこ) |