トニカ通信

トニカ通信ご案内
第 4号 2001年9月
◎すばらしき仲間
点字楽譜普及会「トニカ」代表  松永 朋子
◎これからの点字楽譜の在り方
音楽団体「新星‘78」会長  三好 俊行 さん
◆「トニカ」の点字楽譜を利用されている皆さんから
メッセージをいただきました

◇点字楽譜に感動して 長谷川 溢子 さん
◇コンセール・サムディと点字楽譜 江幡 恵美 さん
◇自分と音楽との関わりについて 中田 裕二 さん
◎広報より
◎編集後記

●トニカ通信 創刊号 ●トニカ通信 第2号
●トニカ通信 第3号 ●トニカ通信 第5号
●トニカ通信 第6号 ●トニカ通信 第7号
●トニカ通信 第8号

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すばらしき仲間 代表 松永朋子
ページトップ 現在、トニカは月・火・木・金の10時から3時まで事務所活動をしている。メンバーはそれぞれの希望の曜日を決め、事務所当番やその他の活動をすることになる。

土曜日にはフルタイムの仕事をもつメンバーが月に一度集まり、このトニカ通信の編集にも携わる。各曜日はそれぞれ庶務、会計、広報等、会の仕事を担当し、点訳依頼のセクションも曜日で分かれている。

例えば、月曜日は鍵盤楽器、火曜日は管楽器という風に。それは月曜日がピアノ曲を中心に点訳をするということではなく、あくまでもトニカに来た依頼の楽譜をまとめ、点訳後の処理(楽譜の整理や点訳記録の整理)をするという係だ。

月曜日に弦楽器の点訳依頼があったとする。楽譜なり電話なりを受けた月曜日の当番は、今年度、弦楽器担当である木曜日のマネージャーに連絡をする。そして必要があれば届いた楽譜をコピーしておく。連絡を受けた担当者はその楽譜の点訳者・校正者を決める。

以前は点訳・校正のやり取りは、手渡しか郵便でなされていたが、最近では多くのメンバーがメールを利用するようになった。

第一水曜日は場所を移動し全体の例会の日となる。その日には各曜日の報告や、点字についての勉強会をする。4月、5月の新学期には点訳依頼も殺到するが、出版楽譜の注文も多い。各曜日とも出版の担当者の作った作業の段取り表に従って点字出力、製本、発送と、毎日が出版社さながらの忙しさになる。その日に残った仕事は段取り表により次の日に受け継ぐ。それらの事は全て代々受け継がれてきたものだ。

30人の会員がいれば当然30通りの生活があり、様々な事情があり、葛藤がある。会の中でも多少の混沌の時代もあった。それでもトニカの活動が休止することがなかったのは、トニカのメンバーが皆同じ方向を向いていたから、なにより点訳することが好きだから、楽譜を待っていて下さる方たちを大事にしてきたからに他ならない。

トニカも15年以上の時が過ぎ、会員も多少の入れ替わりがあった。世の中は目まぐるしく変化する。近い将来、点訳も自動点訳ということになるだろう。でも、私たち「トニカ」はゆっくり進もうと思っている。いただいた楽譜を、どう点訳したら読みやすくなるだろうか。もっと覚えやすく点訳する方法はないだろうか・・・・。トニカに依頼の楽譜が届く限りトニカは存在する。
(まつなが ともこ)


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◇これからの点字楽譜の在り方 音楽団体「新星‘78」
会長 三好 俊行 さん

ページトップ 秋の夜長にふと手にとって思うこと。それは、作品アナリーゼから演奏解釈のこと、作曲者とその時代背景のこと、そして、楽譜の裏側に存在するもの等々…。あっ、そうそう。点字楽譜を使用なさっておられる方は、それを世に送り出していただいた点訳者のことも忘れてはなりませんね。

私達が視覚障害を持つ音楽家団体「新星‘78」を結成した1978年当時は、まだまだ楽譜点訳ボランティアの方もほんのわずかしかおられず、国内出版社で間に合わない教材については、海外から個人的に輸入するという、手間と時間と費用のかかる作業が通例となっておりました。したがって、それができない者は、弾きたい曲もあっさりあきらめてしまったり、いい加減な弾き覚えで我慢していたりするのが現状だったように思います。

それに比べて現代はどうでしょうか。優れた点訳者の皆さんのお陰で、弾きたい曲どころか、憧れの曲、自分の希望の書式の楽譜まで、敏速に手に入るようになり、誠に頼もしい時代になりました。点訳に向けて日夜活動はおろか我々以上にその勉強にも励んでおられる関係者の皆様には頭が下がる思いです。

その結果として、我々の周りにも優れた演奏家や、音楽愛好家の仲間が増えたことはいうまでもありませんが、一番目に見えて変わった事は、点字楽譜の最低使用年齢がぐんと下がってきたことでしょう。

昔は幼少の子供たちにとって「点字楽譜=難しい」という考え方がありましたが、現代は物覚えの容易な幼少の頃だからこそ、点字楽譜の手ほどきをしたいという、熱心な指導者や親御さんも増えてまいりました。

視覚障害児童の大多数が音楽関係のお稽古事をしている現状で、これは本当に素晴らしいことで、その将来が楽しみです。しかし、指導者から考えると、点字楽譜にも様々な不便な点があるようです。そのいくつかをあげてみましょう。

(1) 譜面に指導者の書き込みが不可能なこと。
(2) サイズが大変大きく、持ち運びと管理、検索が容易でないこと。
(3) 健常者でいうコピー感覚の楽譜取り扱いが不可能なこと。
(4) ニーズにあった書式や諸記号類にさらなる研究の余地があること。
                   
(1)については、ヨーロッパ型の出版社では不可能ですが、米国的な奉仕団体のスタイルにおいては、あらかじめ指導者が書き込みを加えた元譜をパーソナル点訳していただくことも容易でしょう。

しかし、このやり方は、考え方によっては、一般の楽譜という概念からはずれており、議論を呼ぶ問題でしょうが、ピアノの複雑な運指法や弦楽器の運弓・運指等、時間をかけて手取り足取り教えなければならない指導者の側から考えると、ぜひともあってしかるべきものだと思いますし、一般楽譜においても、著名な編集者による版が多く存在します。

(2)については、これまで色々な方法がとられてまいりました。初期は米国の楽譜のようにまったく製本をせずにユーザーに届けられたもの、ルーズリーフやバインダー等でまとめられたもの等がそうでしょうが、今後もっとも期待されている方法としては、フロッピーによる販売でしょう。

例えばベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集等を点字楽譜の形で保管するとなると、膨大なスペースが必要となります。また、瞬時に必要な教材や演奏個所を検索できる面からも、ぜひとも普及させていただきたいものです。

現在のピンディスプレー等も、今後さらに使いやすく改良されていくものと推察されますし、インターネットを使用しての海外向け楽譜販売なども考えられれば、そのユーザーも限られた国内のみにとどまらず、世界に広がるのではないかと思います。

(3)については前項と類似する点があり、また、著作権という問題も伴ってきますが、健常者なみに即座とはいわずとも、そのような感覚で楽譜が手に入り、音楽を楽しむことができるということは、誠に羨ましいかぎりでしょう。

(4)については、時代と共に視覚障害者が勉強する楽器の多様化が進み、また、点字楽譜自体がそれに対応しにくくなってきたことが第一点。そして、多くの点訳団体や出版社間での統一と、連絡機関に乏しいことが第二点でしょう。やはりこれも、世界規模で普及推進させる野望を持つなら、ぜひとも規模を広げて考えていかなければならない問題でしょう。

以上、永年周りの音楽家と付き合いながら、日頃私が感じていることを、なんとも無責任に書かせていただきました。

最初に申し上げたように、楽譜点訳という作業は、一般図書と異なり大変な研究心や執着心、それに労力を必要とします。そのようなところから生まれた貴重な点字楽譜を国内ユーザー向けのみにとどめず、今後はぜひともワールド・ワイドに広げていっていただきたいと願っております。その反面、出版社にはできない、奉仕団体ゆえのパーソナリティーと、それに対応できる誇りをいつまでも持ち続けていただきたいと思います。
(みよし としゆき)


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◆「トニカ」の点字楽譜を利用されている皆さんから
メッセージをいただきました。

◇点字楽譜に感動して 長谷川 溢子 さん

ページトップ 私は生まれつき全盲といわれる重度の視力障害者です。けれど小さい頃は光や色はぼんやりと見えていました。私は四人兄弟の三番目ですが、障害者は私だけです。私は盲学校に入るために両親や兄弟達と離れて寄宿舎に入りました。その学校はコーラスが盛んな学校で、私はたちまちコーラスの虜になり、三度の食事より歌が好きになってしまいました。中学、高校、専攻科とクラブ活動はコーラス一筋でした。

盲学校を卒業した後、私はどうしても電話交換手の資格が取りたくて大阪に行き、資格を取った後、静岡のホテルで3年10ヶ月働き、その後今の病院に再就職して早20年になります。

この間、千葉合唱団の研究生に誘われ、私は健常者の中でやってゆけるか躊躇していたのですが、とても熱心に勧めてくださる方がいて、私も意を決し「だめならやめりゃーいいか」と思って研究生になりました。好きな仕事をしながら、好きな歌の勉強が出来て本当に幸せでした。

その頃はまだまだトニカさんはなかったので、その日に習った事をテープにとって次の練習日迄に覚えてゆく方法で参加していました。曲を覚えることは自分でいうのもなんですが、研究生の誰よりも早かったと思います。

けれど、点字の楽譜がないということの引け目やじれったさを感じていました。誰もそのことで私に対して文句を言ったり、意地悪をしたりすることは一度もなく、むしろ暖かくいろいろな面で支えてもらいました。私も皆の足を引っ張らないようにと思いながら私なりにがんばりました。

研究生の期間は10ヶ月間、週2回の練習でした。引け目を感じながらも10ヶ月間はあっという間の出来事でした。研究生を終了すると今度は団員として続けて行けるのですが、私は研究生で終わろうと思っていました。点字楽譜もない中でもっと高度な曲を練習することは、いろいろな面で大変になると思ったからです。10ヶ月間なんとか過ごせただけで私は大満足で、研究生を終了することができたのは、私の力ではなく私を支えてくれた皆のお陰だと思っています。

終わってみれば、大変だったことはすべて忘れてしまい、楽しかったことだけが思い出されました。これからどうしようかと考えていた矢先、今度は入団しないかと誘われたのです。歌が好きな私はすぐにその気になってしまい、大変なことはわかっていても、やはり入団してしまいました。トニカさんと出会うのはまだまだずっと先のことです。

それから何年も経ってから、私は千葉の点字図書館に電話をして、「楽譜の読める方でそれを点字に訳してくださる方はいませんか」と、だめもとで聞いてみたところ、「います」という思いがけない返事に私は嬉しくて体中がガタガタと震え出すほどでした。

その上、音楽の専門家が点字の楽譜を点訳して下さると聞いてさらに感動してしまいました。私は早速、ドキドキ、ワクワクの気持ちで電話をかけました。その時の松永さんの声を私は昨日のことのように覚えています。というより、生涯忘れられないと思います。やさしくもはつらつとしていて、私はますます舞い上がって何をお話したのか覚えていませんが、多分楽譜がなくて困っていることをお話したのだと思います。松永さんはすべてお見通しというように受け止めてくださり、以来私にとって宝物です。点訳していただいたものはすべて大切に保管しています。

歌は私の命。トニカの皆様、今後ともどうぞよろしくお願い致します。
(はせがわ いつこ)
 

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◇コンセール・サムディと点字楽譜 江幡 恵美 さん

ページトップ コンセール・サムディ(CONCERT SAMEDI)とはフランス語の「土曜日コンサート」の意があり、現在私が所属し歌っているアカペラのコーラス集団である。練習会場を埼玉県浦和に持ち、主にヨーロッパ中世のポリフォニー音楽を中心に活動している。

年に一度の定期演奏会のプログラムは多彩で、今年の曲を取り上げてみても、モートンのモテット、バードのミサ全曲、モンテヴェルディのマドリガーレ集より、更には武満徹や三善晃の曲といった具合である。

このかなりの難曲とも思えるこれらの暗譜を、今から5年前は献身的かつ粘り強い友人の支援によりピアノ・声の楽譜で行っていたのである。しかしながら、前述したようにかなりの難曲しかも膨大な量となり、一念発起し、点字楽譜を読むようになった。ですから、「トニカ」の皆様とのお付き合いもまだ3年余りということになる。

とにかく、点訳していただいた楽譜も始終枕もとへおき、目覚めると楽譜を読む、そういう日々が続いた。今現在も暗譜が出来るまではこの方法を励行している。勉強中といったところであろうか。

この歌のグループで点字楽譜を使うのは私一人である。見えない者とアカペラを一緒に歌うそのことによる危惧は計り知れなかったろう。最近は「江幡さんが点訳に出せるよう、なるべく早く曲を決めています。」との指揮者の言葉も嬉しい。メンバーからも喜ばれている。

「トニカ」の皆様にはパート譜とスコア両方を短時間で作っていただいている。更にはラテン語の二重母音やスウェーデン語の表記にも御配慮下さっている。感謝の念にたえない。

今、私が率直に感じることは点字楽譜によって練習時の密度が増え、演奏会での充実感も増した感がある。これからもアカペラを通して歌い続けたい。
(えばた えみ)

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◇自分と音楽との関わりについて 中田 裕二 さん

ページトップ 僕が音楽を始めたきっかけについて考えてみると、やはり失明したことが一番大きいと思います。それまでは自分の日常に音楽はほとんどありませんでしたが、失明すると情報が音だけになりますから自然とラジオなどを聞くようになり、CDなども購入するようになりました。

僕は高校1年のときに交通事故で失明して、盲学校の普通科に入りなおしました。それまでは野球をやっていたのですが、失明して野球をすることは断念せざるを得なくなりました。失明してしばらくは日々の生活で精一杯だったのですが、しばらくして特に真剣に取り組みたいことや一生懸命になれることがないことに気付きました。

やがて高校3年になり、進路を考える時に盲学校の専攻科音楽科に進むことを選ぶのですが、当時僕は19歳でしたので、音楽を始めるにしては遅いのではないかと多少は考えました。僕は絵を描くことは好きだったのですが、楽器は小学校で習った程度で、もちろん譜面も読めませんでした。試験ではピアノも弾かなければならず、慌てて練習をしました。とにかく音楽をやりたいというだけで音楽科に入れていただきました。

それから僕はハーモニカを学んで今に至るわけですが、今ではすっかり音楽が日常に定着したと思います。今は仕事をしながら週に1回のレッスンを受けていますが、なかなか技術的なところで課題が多く表現するというところまではいきません。

一流の音楽家になるのは無理かもしれませんが、自分なりに課題を見つけて一つずつ克服していこうと思っています。仕事を始めて2年目になり生活のペースもつかめてきたので、しっかりと練習する習慣をつけていきたいと思っています。

僕が住んでいるアパートは各部屋に住んでいる方がそれぞれ楽器を演奏するようで、いつも煩いですが誰も文句を言いません。朝は7時30分頃から、夜は10時近くまでは練習できるような環境です。

僕は譜読みが苦手でなかなかやり始めないのですが、やり始めれば何とか納得のいく演奏をしようとそれなりにがんばります。トニカの皆さんが点訳して下さった点字譜は郵送されてくるとファイルに閉じて大切に使っております。皆様のお陰で日々の生活が楽しく豊かなものになっていると思います。これからもお世話になると思いますが、よろしくお願い致します。
(なかた ゆうじ)

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広報より

平素は「トニカ」への多大なご理解と、ご支援を頂きましてありがとうございます。大変遅くなりましたが、「トニカ通信」第4号をお届けいたします。

賛助会員もそろそろ軌道に乗りはじめ、みな様からのご賛同を充分活かすべく頂戴いたしましたご意見を参考に、資金の活用内容を検討いたしております。その結果、今年度は、よりニーズの高い「ツェルニー40番練習曲」(トニカ改訂版)を原本価格提供テキストに定めました。

また、昨秋ホームページを開設いたしましたのでこの「トニカ通信」もホームページよりご覧になることができます。みな様からのご意見、ご質問をお寄せください。

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◎編集後記

ページトップ 本年度から広報を月曜と土曜のメンバーが担当することになりました。どうぞよろしくお願いいたします。

ユーザーの方々の声を中心に編集してまいりましたが、賛助会員の皆様のご意見やご感想も是非お聞かせ下さい。

トニカ通信ご案内