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点訳という作業には、当然校正も含まれる。自分の点訳したものは先ず自己校正をし、それから他の方に校正をして頂く。自分では見つけられなかったミスや、思いがけない知恵を授けていただく。より客観的に見て頂くことによって、その楽譜の完成度は高くなる。もちろん他のメンバーが点訳した楽譜を校正する機会も多いが、これが意外に難しい。
自分自身が点訳した楽譜は、あくまでも「私」という主観を通して点訳される。最初の音符から最後の終止線まで、私自身の印象と知恵で点訳する。私はこの楽譜の読み手のことを考える。また、この点字楽譜がどのように使われるのか、一生懸命想像しながら点訳する。
点字楽譜には様々な応用と工夫がある。例えば音符から音符へかかるスラーでさえ数種類あるし、また、和音記号やスタッカートなど、同じ記号が四つ以上連なる場合は、記号を簡略化するために省略形のかたちを取ることもできる。
極め付きは繰り返しの記号だろうか。前の拍と同じ・・・ 前の小節と同じ・・・ 前の4小節を繰り返す・・・ など。これらは点字楽譜を覚え易くするために、簡略化するために使われる。点字楽譜ならではの表記法だろう。それらの応用と工夫も、点訳者が選択する。
他の人が点訳した楽譜を校正する場合、まず、点訳者がどのように楽譜を読み、どのような計画で点訳を進めたかを感じなければならない。たとえ第1小節目から自分の印象と違っていたとしても、まず、点訳者の主観を第一に考え、校正を進める。
途中で我慢ならなくなり、「私ならこうしたい。」「自分ならこう点訳する。」と、あまりに自分自身の意見を押し付けてしまうと、その点字楽譜はギクシャクしたものになってしまう。点訳者と校正者が競い合わず、互いに個性を尊重し、自立した観点を持ちながら、二人三脚の徒競走のようにゴールを目指す。あるいは完成を目指す。私が「トニカ」から学んだ一番大きなことだ。
(まつなが ともこ) |