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私が点字楽譜を知ったのは1981年の夏のことでした。
楽譜点訳のグループに入り、そこで30マス、6行の点字練習器を借り、それに点字用紙をはさんで、先ず五十音の一覧表から自分の名前を探して点筆で押してみました。紙をはずしてそっと指で触れてみると、それは少しチクチクと指にあたりました。先輩方の書いた点字は丸くて優しい感覚なのですが、私が書いた点字はよく見ると穴のあいた点もあります。紙に対して点筆が垂直にあたらないと先輩方のように丸い点字にはならないと教えて頂きました。その時初めて書いた点字の感覚、少しチクチクした感覚を今でも覚えています。楽譜の点訳に入ってからも、しばらくの間私の書いた点字はチクチクしていました。指に鋭くあたる点字の楽譜を読まされる点字使用者には大変気の毒だったと思います。
その後ライトブレーラーというタイプライターを使いました。夜半に点訳するとガシャガシャと音が響きます。そこでタイプライターの下にタオルを敷く事を教えて頂きました。タイプライターで書いた点字も、紙をはずしたらそっと触れてみました。チクチクした感じは随分なくなりました。
その後パーキンスブレーラとアポロブレーラという凸面から書くタイプライターを友人から譲ってもらいました。それでたくさんの楽譜を点訳しましたし、また楽譜の点訳を始めてから出会った視力に障害を持つ友人達に手紙を書いたり、友人たちが必要とする楽譜を点訳したりしました。私にとって点字はボランティアをするためのものというより、日常的な、必要なものになっていました。
パソコン点訳になり、携帯電話が普及し、メールが主な伝達手段になり、私は点字で手紙を書くこともなくなりました。点字を指先で確認する事もなくなりましたが、初めて触れた点字のチクチク感を今でも覚えています。
パソコン点訳の重要性、ネットワーの重要性を教えてくださったのは、浦口明徳さんです。浦口さんは私を「トニカ」設立に導いてくださいました。
しばらくの間浦口さんが管理するブレイルマスターという大型のパソコン装置が、私が借りた事務所においてあり、その頃サラリーマンだった浦口さんは、会社帰りに毎日事務所に寄り、作業をしていました。毎日毎日、コンビニのおにぎりとお茶を片手に。ある時は日曜日も作業をしていました。
ある日、その部屋からピアノの音がするのです。壁越しに微かに聞こえるのは確かにドビュッシーのピアノ曲でした。浦口さんは作業の合間によくピアノを弾いていました。本当は楽譜の点訳に一番興味があるのだと言っていました。サラリーマンを辞め、名古屋盲人情報文化センターの所長として赴任する前日、「トニカ」の事務所に寄って下さいました。
昨年の6月21日、私たちは「トニカ」設立20周年を記念する会を催しました。まるでクラス会のように、懐かしい方々に集まっていただきました。バイオリニストの和波孝禧さんも奥様の美寧子さんとご列席くださり、お祝いにバイオリンの演奏をしてくださいました。
私が楽譜点訳をはじめた頃に出会った視力に障害をもつ友人達もトニカのユーザーとして、また他のグループで活動する点訳のお仲間も多く参加して下さいました。本当に嬉しかったし、感謝の気持ちでいっぱいです。「トニカ」は素晴らしいユーザーの方々に恵まれました。だから点訳の技術も向上することが出来たと思っています。
その席で私の隣に座ってくださるはずの浦口さんは、当日出張だということで残念ながら欠席でした。でもトニカ通信の20周年記念号には、《永遠なれ「トニカ」》というメッセージを寄稿して下さいました。
その浦口明徳さんが10月6日に亡くなりました。私が入院先の病院を訪ねた時には既に命の時間は限られていました。ベッドでの浦口さんは本当に具合が悪そうでしたが、お得意のオヤジギャグは健在で、私は何度も煙に巻かれました。「トニカ」の発展を心から喜んでくださいました。
私たちはパソコン点訳の行く末についても話しました。私たち点訳者は点訳後のデーターの管理に追われて大変だという話から、私がパソコン点訳した楽譜は誰のものか、というような事を訊ねたら、浦口さんはすぐに「その曲を作曲した人のものだよ、自分達はデーターを預かっているだけだよ。」と言い、「そうでしょう?」と私に同意を求めましたが、私はすぐには答える事が出来ませんでした。
私の心の中には今でも浦口さんのその言葉が活きています。点訳された楽譜は誰のもの?今ならこう答えます。点字楽譜はそれを必要とする全ての人のもの。そして最後にはユーザーを通してその楽曲の作曲者に捧げたいと思うのです。これから私たちはどれだけの年数を楽譜点訳にかかわっていかれるでしょうか。
この楽譜の点訳という喜びと幸福感をどれだけ味わっていられるでしょうか。
「トニカ」の未来へ向けて思うことは、メンバーひとり一人がクリエーターでありプロデューサーであるということ。活動の原点はユーザーひとり一人のニーズに応えていくことです。ユーザーのニーズとはただ要望だけではありません。その奥にあるもの、それは音楽する人の幸福感ではないでしょうか。それこそがユーザーと我々楽譜点訳ボランティアを結ぶ共通の思いです。それはどのような時代になっても変わりません。
私はこの春「トニカ」を卒業いたします。会の代表を辞し、「トニカ」を退会します。30代の半ばから還暦を過ぎた今日まで、私にとって「トニカ」は生活そのものであり、メンバーは喜怒哀楽を共にした家族のようでした。私は「トニカ」によって育てられたと言っても過言ではありません。感謝の気持ちでいっぱいです。そして「トニカ」のメンバーでいた事を誇りに思います。 浦口明徳さんの言葉を借りて私も言いましょう。
永遠なれ「トニカ」! |